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絆なき子らに将来届くのは捨てられ切った己の現実

養護施設にいる間の問題

090422-08

 非言語的領域は言語化しづらい

 昨日Mariaと会い、話しているうちに、自覚とか意識とか認知とか観念とか、ごく日常で育つうちにその環境下で刷り込まれていくタイプのもの程、大人になり家庭を持った時テキスト化や言語化が大変困難だという事がわかってきた。日々家庭で育つうちに身についてゆくものは、わざわざ言語化されるものではないのに、確実にその子に伝わるタイプのものがあり、一般家庭の人たちは、わざわざ言葉にせずとも、理解できうるだけの基礎が備わっていると感じた・・・。

 児童養護施設全部育ちも施設だけの世界観を刷り込まれて生きているが、家庭を比較対象に出来ない為、この問題が見えないのだと確信している・・・。


 言語化し続けるわたし達

 わたしはMariaと出会う事で誰も居なかった事を知り、落ち込んだ時にふと頭を撫でられた時の温もりを知る事で、温もりを知らなかった事に気づく・・・。

 一人である事に気づけない児童養護施設全部育ちは、失うものがないのではなく初めから誰もいなかったのだと、最近気づいてきた。わたしもMariaも気づいたら施設にいたので、生物親との離別の意識も全くない。

 ・・・むしろこの地に降り立った宇宙人のように

 今過去から挑まれてる気がする。知らないうちに刷り込まれまくった集団生活の意識が表に浮上する事はめったにないのに、深層では、バックグラウンドでのたうってる古いOSの余計な常駐プログラムのように、延々とわたしの整理作業を重くしているんだと思うと、時々、そんな事に気づかない自分にイラつく事がある。

 非言語的な領域のような一番大事な事ほど、そう簡単に意識できないし認知できないし自覚もできない、ただ育ったとおりに生きている【だけ】。わたしは異文化どころか、別の惑星に降り立った気分だ【どんなだ?】

 もし家庭で育てば、その家庭が機能不全家庭だとしても、一つのケースファイルや反面教師となるだろう。でも、一方児童養護施設は家庭ではないので、今わたしが作っている家庭生活の為に役立つ情報はどこにもないのだ。

 「虐待家庭の子らのニーズ」と「捨てられた子ら・養育放棄の子らのニーズ」

 「児童養護施設の方が虐待家庭よりマシ、三食食べられ学校も行けるのだから」と言ってる人がうようよいる。そりゃ家庭虐待の子は児童養護施設へ保護されて、きちんと食べられて学校へ行けるようにしてほしい。そこに異論はない。機能不全家庭の子が養護施設へ保護されるのはニーズに合っていると思う。

 それじゃ「捨てられた子どもらに必要なもの」が児童養護施設だけで育つ事で適えられているのだろうか。捨てられた子たちの、本来必要とされるのニーズに適っているだろうか。

 児童養護施設しか知らず、家庭を知らず、個人的な関わりをけん制するような集団生活しか知らず・・・そんな風に育った施設全部育ちが、固有の相手と絆をつくり、子どもとの接し方が判るだろうか?

 里親家庭は捨てられた子にとっての唯一の絆のチャンス

 わたしはヤフー時代から焦点を虐待そのもの合わせずに捨てられた事を主張してきた。虐待の事がテーマではなく捨てられた事がテーマなブログは無かったので当時の反発はけっこうすごかった。虐待受けた事を吐き出したい人たちの怒りに晒されていた気がする。

 でも当時から「今は親の無い子はほとんどいませんが虐待を受けてきた子が多く、施設はどこも満杯です」という言葉を聞くたびに、捨てられた子・養育放棄された子を里親とつなげてほしい、絆を紡げるようにして欲しいと焦る思いだった。

 児童養護施設だけで育つ事の影響を最も受けるのは、捨てられた子と養育放棄された子たちだ・・・。虐待受けて入所してきた子も、虞犯・触法少年も誰か親を思い浮かべる事ができる。それが憎しみでも怒りでも何でも・・・。

 思考を整理する

 捨てられた問題、そして家庭で虐待を受けた問題、児童養護施設で虐待を受けた問題、それらを整理するためには思考を整理する必要があると思う。わたしは思考を整理したいとつくづく思う。

 ギフトボックスと地雷

 数年前、わたしは一つのブログのフレーズを見つけた。【題名もURLも全く覚えていない】、所謂子育て主婦のブログだと思う。
 
 しかし・・・最後まで読んでしまった。

 彼女は赤ん坊が激しく泣くのでパニックになり、実家の母親に電話した、すると母親は「あなたも昔そうだったのよ、大変だったんだから」と言った。・・・彼女はそのとたん安心し、自分がいかに親から大事に育てられた来たかを感じたそうだ。

 そのブログ主さんは、その状況を、親からのギフトボックスを受け取ったと表現していた。

 わたしは「あなたもそうだったのよ」というフレーズを何度か読み、その言葉の意味が掴めず・・・なぜか空虚な気持ちを感じたが、その当時、何故そのように感じたか、その正体が見えなかった・・・。

 数年後Mariaにこの話をした時、
 
 「あたし達には、親の愛を受け取るギフトボックスは無く、いかに捨てられてたかという地雷を受け取る事になる」と・・・。

 オール施設育ちの知らない世界、ギフトボックスを受け取ったというその人の言葉、全てを読みたくないと思ったのか・・・気づいたら題名もURLも、すっかり忘れてしまった。

 だからわたし達は、今乳児院にいる子たちが里親家庭へ迎えられてほしいと発信し続ける・・・。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 12時16分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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