PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

無力感を持たない為には「自らこの環境を選んだ」と言う方が容易かった

メンタル整理中

 ★子どもの日の前に少しだけ掘り下げた本音を・・・。

IMG_4681
★ この花は何だろう、つぼみがケシのつぼみに似てる気がする。


 後に引けない”たくましさ”

 浮浪児時代を語る時の気持ちとしてあるのが、根無し草で雑草根性【変な植物】だと自分から言っちゃう方が、職員や他の子から意地悪く「浮浪児」と言われるよりはずっと良いと思ってた。自分で選んで自分で約半年の公園生活を創意工夫しながら、自立して生きていたと自分に思い込ませる方が、過去の整理の際、精神的に楽だった。

 浮浪児時代の記憶も欠損しているので断片的なシーンしか無いが、公園や道端で黙々生きてた自分を楽しそうに生きていたと思う事で、だんだんたくましさというものが自分のアイディンティの一つになったようだ。



 自分では何も選択できず、ある日一度目の施設から知らないおばさんに拉致されたらしく、どこかの公園で一人で生きてました。と、あまり言いたくなかったのかもしれない。子どもゆえの無力や弱者であることを認めたくはなかった。そういえば、幾人かの人は『一度目の施設から引き取ってもらえたのだから良かったじゃない』と言っていたが、単にもっと遠くの地へ捨てる為、引取りの手続きもせずに勝手に施設から連れ出し【強制引取りという】、今わたしが住んでいる地域へ捨て直したと判った。それ以来、わたしはここで生きている【←それを指摘してくれたのはMariaだったけど】
 
 武勇伝への依存

 だけどあまりに根性がありたくましく強く雑草根性で踏まれても蹴られても又立ち上がる得体の知れない生き物だと自分をイメージングしていたので、どうしても強いままでなくてはいけなかった。間違っても誰か一人の大人に出会いたかったとは、言いづらかった。わたしは自分の体験を武勇伝として語る事に慣れすぎなのだ。そんな自分が感情を整理しないまま里親さんを応援していても、どこかズレてしまうのは当たり前かも・・・。
 
 施設と路上の「捨てられ感」の微妙な違いと両方

 好き好んで生まれた場所から遠い場所で一人生きてるわけじゃないが、脱走に脱走を重ねて、自分で選んでそうなったと思い込む方が容易だった。

 普段から「わたしは捨てられた」と連呼しているが、流石にそこらへんの路上に捨てられた結果児童養護施設で子ども時代を育ち切ったというよりは、自分で「路上でたくましく生きていた」と表現する方が強くて逞しくて力強い自分でいられるように思えた。

 乳児院児童養護施設に子どもを入れる発想のなかった生物親が取った行動は、公園とかに置き捨てる事だった。後は自分の生息圏へ帰り、わたしはこの地で保護され二度目の児童養護施設へ・・・というケースだと思う。【想像】

 乳児院に居なかったのである種の表現を制限してたかも

 しかし、大人になり過去の整理をしているうちに、自分の中に抜きがたくある、自分なりの「虚と無」の気分をそのまま表現すると、乳児院に居たわけではないので、正しいとは言えず、普段は養育放棄、ネグレクトという抑えた表現を使っていたが・・・

 しかしそう表現すると、本当に自分が感じている、自分の立つ四角い面積以上の線を越えてはならない、という、あの変な感覚を伝えられなくなってしまうと思った。わたしは乳幼児の頃、そう思ってたみたい。
 
 運命をコントロールしているのは自分
 
 わたしは自分が子どもだった為に、生まれてすぐどこかの保育所で賛美歌を聞きながら育ったり、児童養護施設で育ったり、ある時期は道端で一人生きてたりなどと、あまり言いたくなかったし考えたくなかったんだと思う。いつも強くて逞しくて他を睥睨する程得体の知れない生き物だと思い込みたかった。

 つまり

 赤ん坊の頃から運命に流されてたとは思いたくなかったので、運命をコントロールしているのは自分だと思いたかったし、

 受身的な表現をなるべく使いたくなくて能動的な表現を使い、なおかつ自分で運命を切り開いたかのように表現し、遺棄児童や捨て子感覚から逃れようとしていたと思う。

 つまり自分は少しもたくましくないところがあり、それを心の持ちようだけで変えようとしていたにすぎない。完全な自分でいようと思ったのだと思う。

 里親家庭を知り

 大人になり結婚し児童養護施設しか世界を知らず【他の世界は路上だけ】にいた事の問題が、問題化し始めた時、上記のような感覚を間違った感覚だと思わねばならなくなった。何故間違った感覚なのかは、他の記事も読んで下さるとうれしい。

 里親家庭へ行けていたら、確実に運命が変わる子どもたちがいる。乳児院の子どもたちに里親家庭を、親が育てられない子どもたちに里親家庭を、と、子どもの日を前にもう一度、心に強く思う。

 そういうわたしはまだまだ整理の途上にあり・・・。

 以上

| ├ メンタル整理 | 09時57分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

へぇ~

 そうだったのか、ありがとうねMaria。あの本、読み終わった。

| Lei | 2009/05/03 07:46 | URL | ≫ EDIT

雛罌粟よ

Leiちゃん、
この花は雛罌粟(ひなげし)、またはポピーというのよ。
http://www.hana300.com/hinage.html

| Maria | 2009/05/02 10:32 | URL | ≫ EDIT














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/939-99357be9

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。