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何が分からないのか分からない自分はそもそも何者なのか分からないという箇所でつまづいている

 メンタル整理:

 何が「わからない」のか

 今朝「何が分からないのか言って下さい」と担任から責められる夢をみた。実はこの手の夢をよく見るが、あまり深く考えずにきた。施設の圧力の高まり切った夢と比べてあまりに地味な夢なので、しょっちゅう見るがしょっちゅう軽く扱い続けてきた。

 しかし何度も見るからには、これは静かに自分の精神に影響を与えてきた項目である事は間違いない。夢を見ている時、教師を前にして何が分からないか考えようとしている思考が残っているのでメモしておこう。


 ・・・小学校の教師は、自分の事が全く分からない低学年の児童を前にして、この児童がどのレベルまで「何も分からない」のか分からないので「何が分からないのか言って下さい」と言いがちだ。でもそれも仕方がないのだと思う。そこまで何も分からない児童がこの世にいるとは思わないものだ。

 教師は「ちゃんと覚えられないと将来困るのよ」などと言っているが、何故困るかもわからない。周囲の子は「しっかり勉強する」 目的意識を持っているようだった。

 実際は学校の授業に付いていく前に「わたしは何者?」「わたしは誰?」という部分でつまづいているが、目の前の教師は「今習ってる授業の何が分からないのか?」だけに付いて悩んでいる。

 その教師は、学校に来ている児童は「すでに自分が何者であるかの情報を年相応に獲得済み」という前提の下に授業を行っている。そして実際に家庭の子は小学低学年の頃には、自分について正確に知っているのだ。

 分からないのなら分からないままに学校の授業を学習出来ればいいのだが・・・わたしは自分が見えないまま学習する事に対して大きな壁を感じていたようだ。

 そして今習っている項目と全く関係が無いように見える不確定な要素、大人でもうまく伝えられない「何者である自分」への永遠で壮大な疑問に直面していたので学習すべき時期に、延々と自分の思考に埋没していたのだと思う。

 もちろん自分の知的レベルは低いので、このような些細な問題に引きずられる傾向にあったのだと解釈しているが、一方ではこのような思考から抜けられなかったので、その先へ一歩も進めない気持ちがあった・・・。

 今も「何がわからない」か分からない

 この学校の教師とのやりとりは、現在のとのやりとりへと引き継がれているように感じる。は度々わたしに「家庭が分からない人なんてこの世に居ないよ?」「何故家庭が嫌いなら嫌いと言わずに分からないと言うの?」とあきれ顔だった。

 だからますます「わからない」と言えずにいたので、分からないのに分かったふりをする事も多かった。その結果、分からない事をそのままにしてきてしまった。【分かったふりは、分かってる人から見ればすぐに見分けられてしまう】

 家庭を分からない、何故家庭が必要なのか、何故子どもがいないと廃れるのか、何故わたしは自分が判らないのか・・・。

 結婚してからも家庭の事を分からないと言えずに来てしまったので、家庭の何が分からないのか今も分からないのである。でも分からない内容も、分からないなりに文章化していこうと、今朝見た夢の結果を受けて、ぼんやり感じ始めている。

 施設では自分が何者かなんて悩む必要もなかったし、質問する相手もなかったし、ただ静かに生息していたのだ。自分の力で物事を考える必要は全くなかったが、何も考えないままでは流されるばかりだった。

 でもわたしの場合はどうした事か、言語に対する壁と意識の違いに強烈に不安を持っていたので、必要に駆られて本を読むようになった、その小さなキッカケが今のわたしに繋がっていると思う。

 人との固有な繋がりが導く学びへの動機

 この国の言葉を解する為には、この国に固有の相手を見つけ、見つけただけでなく繋がり、繋がりを通して、何故学ぶ必要があるのか、と思考を進めていく必要があったと思う。

 (誰かにとっての)自分が意識できないままでは、今自分を取り巻く状況の全てが、自分にとってどんな意味を持った情報なのか分からないままなのを放置した状態だ。

 衣食住あれば事足りるとされている絆なき子どもの見えない問題は、児童養護施設で集団の固まりとして生きている問題でもあり、ことさら自分を知らなくても生きていけるが、それはただ生きているだけに過ぎない日々である事を示している。

 わたしは小学校の頃、何故勉強するのか、という問いは持っていなかった。「何が分からないの?」と教師から問われ続けているうちに、分からないというキーワードを意味づけできるようになった。

 こういう風に、養護施設で集団で生きていると自分なのか集団なのか見分けが付かない状況の中で、考えられない、分からないことへ簡単に繋がってしまうと思う。もちろん、分からない事の全てをここに求めはしないが・・・。

| ├ メンタル整理 | 07時41分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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