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児童養護施設の中で一人の時間を持つ事は戦いだった

養護施設にいる間の問題

 以前Mariaと話していた時一人の時間が自分を育てるのよ』と言っていた事があり、わたしもやはりそのように思うので、彼女とわたしは違う施設で育ったけれど、それぞれの施設で自分を自分で育てていたのだなあと思い、うれしかった。

 今日は、その事に関連するような、少し気になる文章を見つけたのでちょっとご紹介。

ソース元: 子どもが孤独でいる時間
トップページ:愛の手運動 From KOBE はーもにぃ
 


ソース元から引用

アメリカの社会学者、エリーズ・ボールディングの著書に「子どもが孤独でいる時間」(松岡享子訳 こぐま社)という小さな本があります。彼女は五人の子どもの母親で、クェーカー教徒であり、夫は著名な経済学者のケネス・ボールディング氏です。

 この本の中で彼女は、子どもが一人だけの自由な時間と空間をもつことが、どんな意味をもち、どんなに必要なことなのか、を語っています。

 子どもが一人でポツンと物思いにふけっていたり、仲間の友達から離れて一人で遊んでいたりすることが多いと大人は“孤独”という言葉を思い浮かべて心配したり、不安になったりするかも知れません。孤独というイメージは、さみしさ、身寄りがない、一人ぼっち、孤立、仲間はずれ、といったことを連想させますので、大人は子どもが孤独な状態になることを避けようという思いがどこかにあるような気がします。

 今日の社会に身を置く子どもたちは、たえず自分の周囲からさまざまな刺激を受け続けて、この刺激から身を離すことが難しくなってきています。

 この本のなかで著書は「今の子どもたちが直面しているのは、むしろイメージ剥奪とでも呼ぶ性質の危険です。子どもたちは、外界の刺激から身を置く時間を十分もたないため、何に対しても、一連の決まりきったパターンで反応するようになっています。そうしないと、扱いきれないほど大量の感覚的刺激から、到底わが身を守ることができないからです。

 思春期の少年少女たちがひとつ憶えのように使う、おかしな、舌足らずなもの言いや、かれらがしばしば見せる仮面のような無表情な顔つきは、あまりに間断なく、あまりにも執拗に自分たちに迫ってくる外の世界からかれらが自分を防衛しているしるしです。

 この世界は、かれらに意味のある内省を行う機会を与えず、かれらが、自分はこの世のどこにはまりこめるのかをさぐる間、足がかりとして使える、ちょっとしたすみっこや身を寄せていられるくぼみすら、そなえてくれていないのです」と書かれています。

 この本は1962年に出版されましたので、もう40年以上も前のことです。





 一人の時間を過ごす事そのものが戦いだった

 わたしが養護施設の集団生活の中で最も苦労したのは「一人で思索する時間」を捻出する事だった。施設では規則に従い行動する事を求められているが、自由時間にも単独行動をする児童には厳しい目が光っていた。わたしは常に図書室に入り浸り、本を読み、日記を書き、思索にふけった。

 でもそれは管理意識が常に優先している施設では「みんなの輪に入れずにいる状態の子」として解釈され、気を利かせたつもりの若い保母が連れ戻しにくる事もあった。施設では一人の時間を過ごそうとする子を、いかにみんなの輪の中に置き続けるかがテーマのようだった。わたしは自由時間という言葉は単なるお飾りのように感じていた。

 一人で思索する時間を捻出できないという事は、刺激に反応しまくる集団の子どもの中で、脳が焼き切れ心が疲弊する事でもあった。施設の子にとって一人の時間を過ごす事は大変な挑戦となっていて、いつの間にか一人で静かな時間を過ごす事自体が戦いとなっていた。

 それでもわたしはずっと本を読み続けた、そうでなければ、養護施設の集団の暴走する思考に自分の思考が影響を受けたり支配されてしまうよう気がしていた。あの頃があるからこそ、今、WolfやMariaとも話す事が楽しいのだと感じる。

 この引用部分の文章を読んで、養護施設の子ども達は刺激から身を離せない状況にあるのだと改めて思った。自分の時間を静かに過ごす事、お祈りを一人できちんとする事、賛美歌を小さな声で歌う事、みんなの輪の中では笑われてしまう事を孤独の時間の中で静かに持ちたかった・・・。

 それでも男子がやってきて、本を取り上げられたり騒ぎに巻き込まれてしまう事はある。静かな場所なんて施設には無かった。図書室にいても外の喧騒の空気がいつやってくるかビクビクしながら本を読んでいた。いつ嵐に巻き込まれるか分からなかったから、一人で過ごす時間は過緊張をもたらした。

 今思う存分一人で思索中

 結婚し、ソウルメイトと特定な関係を勉強しながら、ようやく一人の時間を過ごせている。とても贅沢な時間を過ごしている事を自覚している。最近、ゆっくりと自分の言葉で文章を書ける事が幸せだと感じている。だから夢中になって本を読んだり家事をしたり、Mariaと会ったり電話で話したりしている。あの阿鼻叫喚の日々が時々思い出されるが、今はもう、みんなの輪に連れ戻されないのだ。

 一人の時間を過ごすのは、とっても人間らしいと感じる事が多い。あの頃の、ただでさえ敏感な耳に飛び込んでくる子ども達の金切り声や先輩の怒号、職員の乱暴な言葉などは、あれ一体何だったんだろう?と振り返る事がある。あの喧騒の中で常に刺激を受け続けていたら、思考する力、思考を整理する力が身につかないと感じている。

 でも、家庭で育てば自分の時間を持つ事ができる事さえ、あの頃は知らなかった。考えたからといって自分の事が分かるわけではないけど、考える作業に慣れておく事は重要だと思う。施設ではその機会が得られなかった。
 
 
 

|  養護施設にいる間の問題 | 15時13分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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