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最近「初めから誰も居なかったかのような忘れ方をしている」事に気づいた

養護施設にいる間の問題

 数えられないものたち

morningmay
★気づいたら早朝だった、ガソリンも残り少なくなった車での迷子は、コンビニの地図帳頼り。


 わたしはかなり常識から外れた感覚を持っているようだ。新しく加わった人も、消えてしまった人も区別がつかない感覚を持っているようだ。人はたいてい失ったものを数えられるけれど、初めから持った事のないものを数える事はできないと思っていた。



 でも、さすがに昔と違い、誰かわたしを重要な人だと思ってくれる人がいたとして、わたしがその人の存在を忘れていた事を気取られないようにする術は身についてきた。#昔は忘れ行くものはそのまま放置していた。

 たとえすっかり忘れていても、話をしていくうちに思い出す事もある。来る者は拒まず去る者は追わずという感覚に任せて生きてた頃よりは、記憶の保存期間が長期になってきた。

 社会に出て最初の頃は、自分がすっかり忘れてしまった人から話しかけられると、留守番電話の音声合成のように知らない人相手の窓口業務的な会話になっていたが、今はもっと人間味を出せるようになってきたと思う。最近は、その窓口業務というか、保母的な会話モードに怒りを向けてくる人が出てきた事も、変化せざるを得ない理由になった。
 
 施設ではむしろ手間の掛からない【誰かに固執して集団生活の規律に影響を与えない】態度が、社会生活や家庭生活では逆の方向へ作用してしまっている。夫を施設的にするわけにいかず、自然、修正すべきは自分の態度となっている。自分の生き方を変えにくい年齢になってから、このような愛着の構築の問題にてこずっている毎日だ。

 初めから誰も居なかったという感覚
 
 ある人の事を忘れ、相手と話しているうちに思い出した時、わたしは『その人の事を初めから居なかったような忘れ方をしているようだ』と感じる事が多かった。でも、これはその人を思い出さなければ感じる事ができない気持ちなのではないだろうか。

 人を覚えられない上に忘れるに任せたまま生きて来れたのは、その理由の一つに、忘れられても困るような人が誰も居なかった事が挙げられる。絆が無いという事は、絆を自ら断ち切って生きてきたのではなく、ただ絆がないという事だ。

 顕在化しない問題

 固定された相手との離別の苦しみを知っている子は子どもらしく見え、悲しく、淋しそうに見える。固定された相手から虐待された子どもは、その人から傷つけられた事で傷を深くしているようだ。

 乳児院・施設全部育ちの子どもたちは、離別の苦しみも知らず、傷つけられた痛みも知らないので、客観的に何の問題もなくのほほんと生きているように見える。でも捨てられた子ども達の問題は施設入所中ではなく、社会に出て家庭を持った時にこそ表面化してゆく。

 「問題が表面化するのが家庭を持った時」では遅すぎる。『施設で育った事を子どもがどうやって納得していくか』と言ってる職員が多いが、施設だけで育った事を納得したからといって家庭生活が身につくわけじゃないので、今となっては施設で育った事自体、時間的にも無駄な事に費やしたとしか思えてならない。

 子どもにとっても、時は金なり なのに・・・。

|  養護施設にいる間の問題 | 03時45分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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