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悪意と善意が摩り替わる施設世界では不快感覚が意識できなかった

メンタル整理

 諭されること

 施設では、上級生から苛められてる子が職員に訴えても、訴えた子どもの方が諭されて部屋に帰された。職員は訴えた子に「お前も問題があるのじゃないか?」「上級生はお前の事を心配して善意で教えてやったんじゃないか」と諭す。または「上級生が冗談でやったんじゃないか?」とも言う。

 結局「諭され」た事で、苛められた方の子はそれ以上何も言えなくなっていく。圧倒的な力の差や人数の差やなど、施設では全く関係ないのだ。

 施設では、通りすがりの少年から侮蔑的な態度を向けられたり、時には殴られたり、精神的ないじめを受けても、悪いのはいつも苛められた方なのだと感じる癖が身についてゆく。

 いつの間にか「苛められオーラを持ってる自分の方が問題があるんだ」と考えるようになる。でも職員の言葉に中身はないので、その子は解答を得られないまま子ども時代を過ごしてしまう。

 


意地悪巧妙

 さらに一見優しそうな、諭すような態度をとる上級生もいる。本来なら、苛められる方が反省する必要などないのに強制的に反省させられてしまう。施設ではこのような事がごく日常的だった。

 苛めはよく裏で行われる。建物の裏、笑顔の裏、表では何の問題もなく過ごしていながら、その裏側では過酷な精神的な抑圧が行われていた。とはいえ、小さな子やこころの強くない子は、精神が弱く自我も確立していないので簡単に呑まれてしまう。

 非公開に囚われる

 わたしは非公開がとにかく苦手だ。メールが苦手なのもブログをMariaと共同管理してもらっているのも、非公開コメントで書き込まれたら、考えるよりも先に神経が過去の状況へ引き戻されてしまうからだ。

 施設出身者にとって非公開はある意味地雷原を一人であるくようなものだと感じる。意地悪な人は沢山世の中にいるけれど、意地悪意地悪に見えない場合は、わたしは考えられなくなってしまう癖がある。

 「誰から見ても聖なる人のように見える大人と、わたしのような捨てられたガキのどちらを信じると思う?」などと猫なで声で言われてたら、もう何も考えられなくなってしまうだろう。自分の方に非があると考える方が精神的に楽だとさえ思ってしまう。

 もともと施設という世界は虞犯少年あり、被虐待児あり、癖の強い職員あり、何でもありの世界の中で、何を善意とし何を悪意とし、モラルをどこにすえたらいいのかを、自分の力で確立しなくてはとてもやっていけない。

 施設を子どもの地獄と思うのは、肉体的虐待だけではなく、精神的虐待も非常に巧妙でシステマティックだから。

 わたしは掲示板などでも、一見諭すような態度をとりながら、よく冷静になって考えるとおかしい事を言ってると感じたら、なるべく、たとえ弱々しくとも、まず不快感をあらわすように努力していくつもり。まずは「これは不快なんだ」と感じられるようになっていきたい。

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