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何の疑いも持たずに無愛着に生きてきたツケを払わされている気がする

無愛着

 無愛着のツケ

 無愛着児は誰にも迷惑をかけないので大人としては扱いやすい。扱いやすいと言えば聞こえはいいが、放置に慣れているので、放置しておいても面倒な事にはならないという事。 

 施設全部育ちは誰も居なくともそれほど困る事がなく生きてきた。可愛がられることの必要性、ぬくもりの必要性、目を掛けてもらうことの必要性、世話を受けることの必要性、それらに気づかず生きてきたツケを払わねばならない状況だ。




 このまま、子ども時代の延長のまま、誰も自分の人生に関わる人がいなければそれで良かったが、卒園後、結婚したりづくりをしてしまったので、誰もいないまま生きる事が難しくなった。わたしと関わる人たちにも意思があり、怒りがあり、気持ちがあるという事なのだ。

 無愛着のツケを払わされるのは、施設を出るまで誰ともつくれなかった当人と、卒園後に当人と関わる事になってしまった第三者たちなのかもしれない。とくに当人と関わる事になった人たちは、そんな事知らずに出会い、コミットしようとしてくれているのに、肝心の当人は、その関わり方を体験した事がなかった為、良かれと思って人から距離をとり続ける。互いにとって不幸な関係となってしまう。

 家庭を知らないと一口に言っても、家庭という最小のかかわりの単位を持った事がないという意味を捉えてもらわなくては、家庭を知らないという意味が、きちんと伝わらない。

 社会に出た施設全部育ちの【愛着障害児】無愛着の問題や、里親家庭へひきとられた愛着障害児の問題を研究している人がどれだけいるか判らないが、なにやら施設病も今では普通の家庭にもあるかのような文章を読んだ事があるので、社会の認知はまだまだというところか・・・。

 目の前に固定された大人がいるのにネグレクトされている子どもの場合と、複数の常に変わり行く大人しか知らない子どもの場合では、根本的に問題が違う。

 家庭で親からネグレクトされた子は、自分を日々ネグレクトした対象者に対する怒りを持っている。だから「親から放置された」という意識を持つことができ、怒りをもつことが出来ると思う。しかし施設で複数の人間から浅く対応されていると、放置されているという意識を持つ事ができない。

 わたしは、やはり施設全部育ちは、家庭でもありがちなパターンと同じように考えては、混乱していくだけだと思っている。親を追い求める子と、誰もいない子では、抱える問題が違う。

 しかも乳児院・施設全部育ちの子は捨てられているのは子ども時代だけではない。子ども時代に作れなかったの影響が大人になっても続いているのだ。

 わたしがもし、この作りや結婚生活に失敗しても、ツケを払うのは自分自身だと覚悟している。

 「たった一人くらい、誰かに頭をなでられたことはないの?」とMariaから言われた事があるが、同じ人からなでられたわけではないので覚えてないのだと思う。沢山の人から撫でられても自分の脳みそでは覚えきれないと思っている。いつもいつも同じ人が子どもの人生には必要だと思わされる質問だった。

 たった一人でいい。いや、たった一人がいいのだと思う、子どもにとっては。世界中の愛よりもその人だけの愛をもらいたいと願うようになることが、愛着への第一歩ではないかと思う。

 

| └ 愛着障害・無愛着 | 05時53分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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