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児童養護施設出身者であること、その現実と実感

メンタル整理

 捨てられている事

 今までほんとうに軽く「捨てられていた」話を書いていた事に気づく。頭では理解していたつもりだったのに自覚が無かった為「わたしは捨てられてましたよ、それが何か?」という記事が多く、その現実を説明する内容が優先し、捨てられている事が【本当には】どういう事かを、感情としてしみじみ意識する事はなかった。



 でも、過去、現在、未来を時系列で考える時、自分に繋がる関係者が誰も居なかった事をしみじみ考えるようになってきた。ブログで、今までは平気で書いてきた「捨てられた子ども達」の事が、自分の人生に影響を与え続けている現実として、その実感が強くなっている。

 今まで施設全部育ちには誰もいない事を、どこか当然のように書いてきたが、その理由は、出会いやを意識する相手が誰もいなかった為だと知る。だから、本当には孤独である事を実感として理解できないまま、一人で生きてきたのだと思う。

 児童養護施設で全部育ち、なおかつ自分の家庭や相手が存在しない者は、施設を出た後も一人だ。結婚するその瞬間まで、家庭を一切体験せずに過ごしてしまう。でも、捨てられたままで生きる子ども達に、その責任を取る人はいない。いわゆる自己責任なのだ。

 家庭で育った夫は「幼い頃に親がいないという事は、空気のない世界を想像するようなもの」と言った。家庭の人にとって空気のように、あって当然な筈のものが無いなんて、ありえないのだと・・・。

 顕在化

 たぶん今、無自覚の範疇であった様々な課題が潜在から顕在へと向かっている状況ではないかと思っている。無意識、無自覚、認知されない問題などを、表に現すことが本当の意味で出来なかった為、テキストだけで、捨てられていた事を自分なりに分析できると思っていたのだと思う。
 
 だけど記事をいくら書いても隔靴掻痒の状況だったのだ。いくらテキストを書いても、自分が置かれている真の問題には気づかないで、ある意味、のほほん、と生きてしまったので、果てしなく強気だった。

 さらにこの世に生まれてきた命がいくら尊い、かけがえのない、という言葉を読んだり聞いたりしてもピンとこなかった。現実として、施設で全部育った事実があり、出会いもなく、自分の命が尊いとは思えなかったのだと思う。

 乳児院・児童養護施設だけで育つ子どもへの税金の無駄遣いについては語れても、その一方で、捨てられている自分の感情に触れた事がなかった。メンタル系は苦手と言っていたが、捨てられた事実に向かい合う勇気が無かったのかも知れない。
 
 何故人生の初めに家庭が必要なのかを知らず、施設全部育ちとしてのキモチを書いていたつもりだったのだと思う。里子は施設では良い子だった場合、家庭では問題児になってしまう。特に遺棄・育児放棄された里子は、生まれてからずっと孤独だった欠損を埋められない。

 里子の方も里親には感謝しつつも、捨てられていた時間が内面にあり続ける。人生の最初から家庭で育ってきた里親には理解しがたい里子の態度だし、その里子の虚無感に苦しめられ、傷つけられるだろう。

 でも里親に出会う事のできた子は、わたしの目には、とてもまぶしい。里子として里親に出会えたからこそ、今まで捨てられていた事が、強く意識されるのだと思うから、だから・・・。
 
 だから乳児院の子ども達には、一人でも多く里親家庭に迎えられるという体験をしてほしい。

 追記

世界中の愛を全部ください世界中の愛を全部ください
(2007/05/16)
早川 幸恵

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 今思うと「世界中の愛を全部下さい」という本を執筆した里子の早川幸恵さんと「多くの人から沢山愛情をもらった」と言ってる、施設全部育ちのコトバは、非常に似ている部分があると感じる・・・。だけど、早川さんにはもう里親がいるのだから、堂々と子どもとして存在してほしいと願っている。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 22時45分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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