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同じ事を繰り返してしまう子どもたちについて

 印象の違い、施設の被虐待児と里親家庭の捨てられた子

 施設で問題を起こす子の印象と、里親家庭で問題を起こす子(正しくは無愛着ゆえの態度)は、その印象が少し違うと感じていた。

 施設で問題を起こす子達は、自分が反社会的行為を起こしている事を、明らかに自覚していて、大人を試す意図があり、腹立たしいと思っていた事を覚えてる。
 
 一方、里親さんに話を聞いたところでは、里親家庭で問題を起こす子というのは、自分が反社会的であるとは全く理解できない上で、その結果、小さなうそを繰り返したり、約束してもすぐに忘れることが多いと聞いた。


 そこには自分にも共通の内容をイメージさせるものがあった。

 わたしは、施設で問題を繰り返す子は意図的だと感じていた。職員が一度、二度、真剣に関わってくれたらピタッと収まる事も多かった。

 しかし、里親家庭の子は、何度注意しても「もうやりません」と言いながら、数日経つとケロッと忘れてしまう印象があった。このケロッと忘れる態度に里親さんはみな、傷つくのだ。里子との信頼関係がまるで成り立たない事に対しての悲しみと虚脱・・・。

 愛着のないこと

 でも里子にとっては、すぐにそれは過ぎた事になってしまうし、薄くなり数日経つと覚えてもいない。里親さんがそこまで、そんな(ささいなこと)にこだわるのが不思議でしょうがない、早く次のことをやりたい。目の前で悲しんでいる里親さんの声を拾わず、もう次のことを考えている。このような子どもは、心が無いように見える。

 施設の被虐待児が怒りを込めて大人を試し続ける、明らかな意図に比して、乳児院からの子の無愛着は、賽の河原の石積みのようだとも言っていた。

 この態度の違いは、里親家庭へ迎えられた子が、虐待家庭の子よりも乳児院からの子が多いという事が関係しているように思えた。(家庭からの子も当然いますが)

 児童養護施設には家庭での親の顔を覚えている子が多いし、親との色々な体験が積み重なっている子が多い。親の質の良し悪しに関わらず、脳に親のデータが残っているのだ。

 里親家庭に迎えられる子は親を知らなかったり乳児院で集団で一年も二年集団養育された子が多い。物心付く前には乳児院にいて二才くらいに里親家庭へ行っても遅すぎて、養育が非常に難しいと感じさせる話だった。

 知人の里親さんの話を聞きながら、内心で「わたしは施設で問題を起こしていなかったので、里親家庭でも問題を起こす筈はない」と、何処か距離をおいて聞いていた。

 「すぐに忘れる事をトリ頭と言うらしいよ」と夫が教えてくれた。わたしも子どもの頃から極端に物忘れが酷く、記憶を失ったのか最初から覚えてないのか、全く区別がつかない状況だった。

 でも今は、これはトリ頭というか、脳の問題かもしれないとわたしは思うようになった。自分の脳の動きを考える時、脳がどうしても強く行動を支配してしまうのを、感覚的に理解しつつあるのだ。

 そのような時に、感情はあまり働いていない。相手の傷ついた態度を(今回はMaria)見て、初めて、脳が、その意味を分析して動くという感じなのだ。だからタイムラグがある。

 そして初めて、自分は悪い事をしたという分析データをアウトプットし、ようやく衝撃を受けるのだ。その僅かのタイムラグが、関わってくれる人にとっては永遠のように思えるのではないだろうか。わたしも、そんな風にしか、情報伝達できない自分を悲しく思う。

 痛みを忘れる事が心の防御だとしたら、捨てられている状態に特化した脳は、僅か生後数ヶ月で完了するかもしれない。

 だから、早く里親家庭へと言っている。もちろん、わたしは知識が何もありません、全て感覚で書いています。でも、こう表現する以外に今のところ、説明(言い訳)のしようがなくて、自分でも自分にうんざりさせられているしだいです。

 ★ちょっとあわてて書いてるので、ウィキブログなみに、編集していく予定です。

| └ 愛着障害・無愛着 | 16時51分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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