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今回「逢い続けないと相手の印象が薄れていく」事に気づかされた

SOUL FAMILY-project別館

 継続

 昨日Mariaと2人で逢った。

 その結果、Mariaに悪い事を言ってしまったと今更ながら気づいた。昨日彼女に久しぶりに逢った瞬間の心理的距離感、互いに無愛着同士なのに、彼女の方から近づいてくれたので、ようやく別れ際には少し思いを取り戻せた気がした。でもわたしはあんなに謝罪していたにも関わらず、彼女曰く「水くさい態度ね」と言われた・・・。

 さて。先々週わたしは、

 「が出来たのだからそんな逢わなくても大丈夫だよ」と平気で言っていた。それは、わたしは自分の事が分からないからだと知りつつある・・・。自分の事は自分が一番分かっていると勘違いしていたけれど、そばにいてくれるMariaには丸見えなのだ。

 わたしは、毎週のように逢い続けていたので「ができた」と勘違いしていただけで、逢わなくなっても心に相手が住むところまでは、愛着のネットワークが繋がれていない事を昨日意識してしまった。


 無愛着人間だからこそ無愛着が見えた?

 薄らいでゆく事への不安もなく、だんだんと消えてしまう事への恐怖もなく「が出来たからもう逢わなくてもいい」と言っていた・・・。これは確かに子ども時代からの感覚の続きのようでもある。

 だから彼女は逢う事にこだわり続けていたのだと知った。わたしが知らない世界、失う事への恐れの世界を知らなくては愛着が理解できないと思った。

 物心付いた時に施設にいたので、特に一度目の施設へ預けられる経緯を全く知らない。生まれた時より一人で生きて来ているので、見捨てられたり、分離する事への不安を持った事がない。「施設へいれちゃうわよ」と言われて育った事もない。そのような親の脅しも体験しないまま、施設でそのまま生きてしまったので、別れる事への不安を知らなかったと思う。

 そこに言及できるMariaも無愛着だから、無愛着人間の気持ちの動きが見えるのだろうか。

 二兎を追うものは

 昔つきあってた人から「君は付き合う人を1人に絞らなくちゃいけないよ、二兎を追うものは一兎をも得ず」と言われた事があった。当時、複数の人とお付き合いする事をおかしいと知らなかった。

 でもわたしはその時、その人に反論した。
 
 「何言ってんの?わたしは一兎も二兎も追ってないよ。単に、去るものは追わず、来る者は拒まず」なだけと。でもどうして付き合う人を限定しなくてはいけないのか、そこが理解できなかった。

 でも、その時の彼は「限定しなくてはいけないのではなく」もしかしたら「大事な1人との愛着を繋げ続ける事の必要性」を言ってるのではないか?と、十何年越しに、なんとなくひらめいた。

 考えてみたら、施設は、職員と児童、児童と児童、の関わりしかなく、それも期間限定で流動的だった。施設を出ればそれも無くなる。

 一般の社会は役割がもっと多様で固定されており、その人間関係の維持を土台とした親密な距離が、各々違ってくるのだと思う。そして個々の生活に左右されない人間関係の維持ができる。

 わたしは、一般社会の役割的な人間関係や、それに応じた距離感を知らない気がする・・・。

|  Soul-Family-projct・別館 | 07時34分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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