2008年11月30日
「養護施設を理解されていないの意」についてのわたしの認識
家庭から来た子たちの理解されたい事
彼らは実親から虐待され、ネグレクトされた認識がありながら、孤児院が元である現在の児童養護施設に入所していた事により、捨てられた子ども達であると思われる事への危機感を持っているように見える。
彼らはその為、捨てられた子なのか虐待された子なのかという自己認識の曖昧さに対峙しているように見える。だから大人になっても世間に向けて何を理解してもらいたいかうまく表現できない気がする。
施設の子ども達の絵画展を開く事で理解されたい事とは何だろうと考えてみたら少し気付いた事がある。施設の子は特別な子ども達ではない、家庭の子と何ら変わらない子ども達なんだ、と理解されたいように見える。それは一部は真実だけど、全てを説明していない。
わたしは捨てられて施設で生活している事は、特別視されるべきと言ってるのではない。問題視されてほしいと思っている。家庭の子と施設の子【家庭虐待からの措置の子】は同じと言いたい彼らと、物心付いたら施設世界しかしらない子の問題は、この部分でも重ならないと思った。施設の子ども達の絵画展を、まるで見世物のように感じるわたしとは、視点が違うのだろう。
以上がわたし視点での、家庭虐待措置の子たちについて思う事。
まあわたしの記事はダメ出しというか、Problem Listの作成中のようなものだから全ての局面に対して悲観的に見えるかもしれないけど・・・。
| └ コラム | 06:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑























